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猫舌帝國

創作サイト「猫舌帝國」内の日記です。

2024'05.19.Sun
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2009'02.18.Wed
『余命半年』

余命半年。
ガン宣告を受けたその日、僕の家に珍客がやってきた。
そいつは吉田戦車のマンガの登場人物みたいな姿をしていた。耳を持っていて、鼻を持っていて、瞳はつぶらで、手は短く脚も短かった。胴がずんぐりしていて、でべそだった。
上から下までじっくりながめて、僕は玄関のドアを閉め忘れていたことに気づいた。
「勝手に入ってきちゃだめだろ」と僕は言った。
「そうなんですか?」とそいつは答えた。間延びした、伸びすぎたパンツのゴムみたいな声だった。けれどつぶらな瞳を見ていると、どうも追い返すのが哀れになった。吉田戦車のマンガが好きだって言うこともある。
そいつを追い出さずドアを閉めた。冬の冷気が行き場を失って戸惑っていた。

そいつにコーヒーと紅茶どちらにするかと聞くと、水道水がいいと言われた。仕方がないので僕だけコーヒーを飲むことにした。ついでなのでお湯をそいつに渡したら、妙に恐縮していた。
「で、なにか用なの」
「いいえ」
即答されて僕は大いに弱った。それを察したのか、そいつはやっぱりありますと言ってくれた。よかった、と僕は思った。なんのいわれもなく不法侵入されては、僕の立場がなくなってしまう。
「宿に困っているんです。良かったら泊めてください」
断ろうかと思ったけれど、お湯を啜っているそいつを見たら、どうも断るのが気の毒になった。一人でいるのが嫌だって言うこともある。
がんなら伝染するわけでもなし、僕は結局頷いてしまった。

男は口が重いというのが世の常なので、僕たちは黙りこくっていた。(そいつが男なのかはよく分からなかったけれど)冬の日が徐々に暮れてきた。夕日がとてもきれいだった。そろそろ夕食を作ろうかと思ってそいつを見ると、夕日をきらきらした目でみていた。夏の木漏れ日みたいな瞳が可愛らしくて、僕はなぜか愛着を感じてしまった。ベランダに出るかと聞いてみると、高所恐怖症なので良いですと断られた。それなら近所を散歩しようかと誘おうと思ったのだけれど、そうこうするうち日は落ちてしまった。
夕食は何にしよう?
冷蔵庫の食品を前に悩んでいると、そいつがとことこやってきた。の前に、台所の入口で良いですか、と聞いて冷蔵庫をのぞく前に良いですか、と聞いた。妙なところで遠慮深いやつだと思った。
一緒にごそごそ漁っていると、くさったレタスが出てきた。緑の野菜がそれ以外なかったので、買いにいかないと食卓の見栄えが悪いなあと思った。そいつは僕からそれを受け取った。捨てておいて、というとそいつは頷かずに台所を出た。僕はひとりで献立を悩んだ。カレーとサラダ。レタスは買ってこよう。決めて立ち上がるのと同時、そいつがやってきた。手には新鮮そうなレタス。どうしたのかと聞くと、そいつはつぶらな瞳をぱちくりさせた。しっぽがぱたん、ぱたんと揺れていた。

カレーとサラダは上出来だった。
テレビを見た後僕は歯磨きを勧めた。カレーは、放っておくとちょっとにおうのだ。そいつははいと頷いて、僕と一緒に洗面所に入った。
買い置きの歯ブラシを開けてやろうとすると、とんでもなく恐縮しだした。けれど僕はそいつに歯ブラシを使ってほしい気持ちだった。僕の歯ブラシはこの間あけたばかりで、次のかえどきはたぶん半年くらいあとだからだ。そしてその半年が問題で、きっと僕はその買い置きを使う機会がないだろう。
いいからいいからと開けてやると、そいつはゆっくり口に入れた。僕がしゃこしゃこ歯磨きをしているとなりで、そいつはいきなり吐き出した。ぺっ!
「どうしたの」
「この歯ブラシ、味がまずくって」
歯ブラシの味なんて考えたことがなかった。べつに食そうとしたわけではなく、口に入れるだけでも味は気になるらしかった。歯磨き粉でもごまかせないらしかったので、僕たちは歯ブラシを買いに行くことにした。
夜十時。コンビニでそいつはくんくんにおいを嗅いで歯ブラシを吟味した。たった三種類しかなかったけれど、お気に召したものがあるらしかった。冬の夜空はとてもきれいで、僕たちはとてもすがすがしい気持ちになった。
夕暮れのときは出られなかったので、僕たちはそのぶんのんびりと道を歩いた。そいつはとても申し訳なさそうにしていたけれど、僕は少しだけ嬉しかった。はじめてそいつにわがままを言われたのだ。なぜだかとっても気分が良かった。
「むだにお金を使わせてしまってごめんなさい」とそいつは言った。「人間の方って、お金がとても大切なんですよね」とも言った。
僕はうーむと唸ってから、銀行の預金高を思い出した。半年寝て過ごせるくらいの貯蓄があった。
「でもね、僕はもうお金を大切にしなくていいんだ」と僕は言った。そいつが天の川みたいな瞳で僕を見上げた。僕はするりと口にした。「僕は半年で死んじゃう病気にかかってしまったから」と。
そいつはびくりと固まった。僕はその様子をみてくすくす笑ってしまった。なんだかあんまりおかしくて。そいつはいいやつだとこころから思った。僕はお金を気にしなくていいし、損得なしでそいつに親切にできるし、冬の星空を見上げる余裕だってある。気分が良かった。そいつが望むなら、わがままをいくらだって聞いてやることができるのだ。
そいつが短い足で僕に駆け寄ってきた。僕はそいつの頭を撫でてやった。そいつのしっぽがぱたり、ぱたりと揺れていた。

朝目覚めると、そいつは枕元に座っていた。
「そろそろ行きます」とそいつは言った。「歯ブラシ、洗面所に置いとくからいつでも泊まりにくるんだぞ」と僕は言った。半年間限定だけどね、ともちゃんと付け足した。そいつはぴょこんとお辞儀して、玄関から出て行った。

次の週、僕は病院に行って診察を受けた。入院の手続きもあるためだ。
そうしたら、お医者さんは難しい顔をして僕の検査結果を持ってきた。
「あれは間違いだったみたいです」と彼は言った。
僕たちは首を傾げあった。
そいつが一年後に泊まりに来ても迎えられるのだと思うと、ただそれが嬉しかった。

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